「F1の荒法師」と呼ばれたナイジェル・マンセルをご存知でしょうか?懐かしい名前でしょう?私が一番好きなF1ドライバーです。最近のF1ではマンセルのような暴れん坊がいませんよねー!!
ナイジェルマンセルは私が一番好きなF1ドライバーです。何せその当時2万円もした「パーフェクト・ナイジェル・マンセル」というVHSのビデオを購入したくらいですからねー(笑)
普通のF1ドライバーは裕福な家庭で育ち、小さいころから英才教育を受けたドライバーが多いんです。しかし、マンセルは窓ふきのバイトで資金を貯めて、売れるものは全て売り払って苦労しながらレースに出場して、結果を出し続けました。
そのマンセルの走りに、その当時のロータスの総帥コーリン・チャップマンの目に触れて、ガッツのあるマンセルをチャップマンがF1への道へと導いてくれました。
F1へのステップアップを果たした、マンセルですが本当に「つきのない」時代が続きました。
言いだすとキリがありませんが、1986年にはプロストとのチャンピオン争いを演じましたが、最終戦オーストラリア・グランプリで、左リヤタイヤ・バーストでリタイアしました。
続く、1987年もピケとのチャンピオン争いで、鈴鹿の予選でクラッシュをして、レースに参戦できずにピケにタイトルを奪われました。
フェラーリ時代は正直、マンセルの目立った活躍はありませんでした。
そして、古巣ウィリアムズに戻った、1991年もベルギーGPと悪夢のポルトガルGPで、セナにチャンピオンを奪われました。
この時の、タイヤを締め忘れてリタイヤになった、ポルトガルGPは本当に悔しくて悔しくて寝れませんでした。
そして、迎えた1992年に、やっと花が開きました、最強のマシンFW14Bで無敵の強さを誇り、見事ワールドチャンピオンを獲得しました。
1992年のモナコGPは本当にセナに負けましたが、素晴らしいレースでした。セナとマンセルでなければあのレースは無かったと思います。
マンセルの最大の魅力は、豪快なドライビングと、勢いに乗ったらセナでさえも手がつけれない速さを発揮しました。ある意味、大きな子供と言う感じで、喜怒哀楽をそのまま表現する性格が人気を得た事も大きいと思います。
愛嬌をこめて、「大英帝国の愛すべき息子」と呼ばれました!!
最近、こんなドライバーがいないんですよねー、まあハミルトンが近いなって気がしますがどうでしょうかねー!!
1992年で引退したマンセルが、1993年にアメリカのCARTに出場していきなりチャンピオンになったのもマンセルらしいですねー(笑)