私は、ナイジェル・マンセルが大好きです!1992年のチャンピオンを獲得した時は本当に泣きそうなくらい嬉しい気分になりました。「無冠の帝王」と呼ばれたマンセルですが、個人的にショックだった、3大事件を挙げてみました。
では、早速ですが3位から発表しましょう!!
【第3位:1990年日本GP】
1990年の鈴鹿といえば、スタート直後に、マクラーレンのセナとフェラーリのプロストが1コーナーでいきなりの接触で後味の悪いチャンピオンの決まり方をしたレースであり、日本人ドライバーの鈴木亜久里が日本人として初めて3位表彰台を獲得したレースです。
スタート直後の、セナプロの接触で1位になったマンセルですが、ドライブシャフトが折れてしまい、ピットでリタイヤになってしまいました。
フェラーリ移籍で久々の勝利かと思いましたが、残念ながらリタイヤになってしまい、かなり悔しい思いをした記憶があります。
しかし、この年のフェラーリ641/2はめっちゃ格好良かったですよねー!!
【第2位:1991年カナダGP】
この年は、セナが前人未到の開幕4連勝を達成し、前人未到の開幕4連勝を達成し1988年の再来とまで言われましたが、セナは 「マクラーレンは最強じゃない。ウイリアムズは必ず反撃にくる。我々は改良が必要だ…」と言い続けていました、それが現実になった、第5戦カナダGPでした。
ここで、ウィリアムズのマンセルが独走劇を見せて楽勝ペースに見えましたが、何とファイナルラップの残り半周と言うところで、まさかのストップ、、、、、
原因は、電機系のトラブルとも言われていますが、マンセルが観客に手を振ろうとして誤ってコックピット内のスイッチを切ってしまったという説もあります。
まあ、マンセルらしいといえばらしいのですが、これが有名なマンセルの「バンザイ・ストップ」といわれるリタイヤでした。
カナダGPは時差の関係で日本は、深夜から早朝にかけて衛星生中継で流れるのですが、眠いのに起きていて良かったと思えたのに、最後の最後に、地獄に落とされたのをよく覚えています!!
【第1位:1991年ポルトガルGP】
スタートで、セナとベルガーをオーバーテイクしたマンセルが独走していたレースですが、マンセルのピットインで事件は起こりました。
タイヤ交換でピットインしたマンセルですが、何と右リアタイヤを締めきっていないのにピットアウトしてしまいました。焦ったピットクルーは本来作業をしてはいけない、ピットレーンでタイヤを付ける作業をしてしまったため、マンセルは失格処分になってしまいました。
この時の、右リヤタイヤを担当していた、クルーが怒って、ガンを地面に叩きつけていたのが印象に残っています。私もそれ位悔しかったです!!
こう考えたら、1990年のレースが2つも入っています、1990年のベルギーGPも惜しいリタイヤでした、レースの世界に「たられば」はありませんが、もしこの年に、カナダ、ベルギー、ポルトガルの3戦のうち2戦を優勝できていればチャンピオンを獲得出来ていたのかなと思います!!
まあ、1992年に圧倒的強さでチャンピオンを獲得出来たので良かったんですけどねー!!
この3レースが私の中での、ナイジェル・マンセル残念3大レースです!!