GIを4勝した名馬「トウカイテイオー」が25歳で急死しました。トウカイテイオーは1991年の年度代表馬ですね。アラフォー以上の方には鮮明に記憶に残っている馬ではないでしょうか?
「トウカイテイオー」は、皇帝と呼ばれGIを7勝したシンボリルドルフの子供であり、無敗で皐月賞、日本ダービーを制し、親子二代での三冠馬も期待されましたが、ダービーの後に故障が見つかり、結果的に菊花賞を出走する事が出来ませんでした。
しかし、明けの5歳(今で言うと4歳ですね)で、大阪杯を快勝し、天皇賞・春で、メジロマックイーンとの対決が実現しました、この時、トウカイテイオーは岡部騎手、対するメジロマックイーンは武豊騎手と言う事で、ジョッキーのライバル対決も大きく盛り上がりました。
岡部騎手が「地の果てまでも走れそう」と発言すると、武豊騎手は「あっちが地の果てなら、こっちは天まで昇りますよ」と応戦し、レース前から大きな盛り上がりになりました。
しかし、レースはメジロマックイーンの圧勝で、トウカイテイオーは5着に敗れました。
トウカイテイオーは、レース終了後に骨折が発覚し、またも長期休養に入りました。
そして迎えた、天皇賞・秋では、見せ場無く7着と言う結果になりました、当然のようにジャパンカップでは、人気が無く単勝10倍と言うオッズになりました。
みんながあまり期待していなかった、トウカイテイオーですが、何とまさかの勝利を収め、まさにトウカイテイオーの本領を発揮しました。
ジャパンカップの勝利で、ドリームレース有馬記念は当然のように1番人気に押されましたが、これまた大惨敗の11着と言う結果に終わりました。
この浮き沈みが激しいのが、トウカイテイオーが人々の記憶に鮮明に残っている理由なんでしょうね(笑)
有馬記念のあとは、翌年の宝塚記念を目指していましたが、またもケガをしてしまい、結果的に次のレースは、翌年の有馬記念になりました。
有馬記念の次のレースが有馬記念なんて、こんな馬、なかなかいませんよね(笑)
有馬記念のジョッキーは、岡部騎手はビワハヤヒデ、武豊騎手はベガの騎乗が決まっていたため、田原騎手になりました。
363日ぶりのレースで、一番人気であるビヤハヤヒデとのマッチレースを制して、まさに奇跡の復活を果たしました。
中363日でのGI勝利はJRA史上最長の記録になっています。
何度もあった挫折をことごとく乗り越えていく姿に、競馬ファンは勇気をもらいました。
まさに記録以上に、記憶に鮮明に残っている馬、それが「トウカイテイオー」ですね。
また、歴史に名を刻んだ馬が一頭この世を去ってしまいました、寂しいですね!
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