プロ野球シーズンがポストシーズンのみとなった現在、来季のことを球団は考えるのは当然。ドラフト会議が迫っている現在、新入団選手と同じ数の解雇される選手がいるのも現実です。
たった4年で戦力外通告されるとは阪神の蕭一傑(しょう・いっけつ・26・投手)も思わなかっただろう。
蕭が台湾から来日したのは約10年前。日南学園(宮崎)への野球留学だ。甲子園には2度出場。奈良産業大学進学後は近畿学生野球の5季連続リーグ優勝の原動力となった。四隅に投げ分けるコントロールと140km台の直球のキレが評価され2008年のドラフト1位に。15歳で海を渡った若者の動向は母国・台湾でも度々報じられた。
奈良産業大学といえば、元阪神の湯船投手も在籍した奈良県では強豪の大学で、その中でも蕭投手の活躍は群を抜いていたと思う。
母国台湾からの期待と、関西屈指の人気球団とファンからの大きな期待(19番は小林繁氏の背負っていた背番号)がプレッシャーとなるのもうなずけるが、4年という期間は判断にとって十分な時間だったんだろうか。
プロスポーツ選手の環境というのは言ってみれば結果主義。
その点で蕭投手は球団に貢献できなかったということなんでしょう。
1年目は二軍で7勝を挙げて最多勝。2、3年目も着実に二軍で結果を残して一軍にも呼ばれた。
蕭のハングリーさはプロでも高く評価された。だが140km前後と平凡な球速が首脳陣の心をとらえなかったのか、あるいは蕭の将来性に懸ける余裕がなかったのか、一軍に定着することはなかった。
そして今年10月1日。球団から電話があり芦屋のホテルに来るように言われた「実力の世界であり、一軍で成績を残せなかったのは事実。(戦力外通告も)仕方がないと思う。ただ僕の立場で言うのもおかしいですが二軍でどんな結果を残しても、一軍の選手が好調ならば出番はない。だから納得できない自分もいる。
戦力外通告を台湾の両親に告げる時は辛かったです。母は泣きました。でも、こうも言ってくれた。『悔いが残るなら、日本でがんばりなさい』。
彼は日本球界でプレーする最後の手段としてトライアウトに臨む意向。
社会的にはまだまだ若い26歳という年齢は今後の身の振り方を賢く考えるには早すぎる。がむしゃらに前向きに頑張ってほしい!