幻の三冠馬と言われている馬は、何頭かいますが、その中でも有名なのは「フジキセキ」です。残念ながら皐月賞前に屈腱炎で引退してしまいましたが、あの「弥生賞」は、今でも鮮明に覚えています。
フジキセキの名前の由来は、「富士山とキセキ(輝石、奇跡、軌跡)輝くような、ミラクルを起こして欲しい、栄光の軌跡を残して欲しい」という思うを込めて、つけられた名前だそうです。
フジキセキの戦績はたった4戦です、しかし、どのレースもあまりにも強烈な印象があり、順調に走っていれば、間違いなく三冠馬になったのではないかと言われる「幻の三冠馬」です。
朝日杯3歳ステークスでは、スキーャプテンに勝ち見事、3歳チャンピオンになりました。
前年の「ナリタブライアン」に続いて、2年連続「三冠馬」の登場かと世間はザワザワしていました。
そして迎えた、4歳の「弥生賞」での走りがさらに、「幻の三冠馬」として語り継がれるレースになりました。
ホッカイルソーが、追いこんで来て、差されそうになりましたが、何とここでもう一回スパートをかけて、一気に北海ルソーを引き離しました。
私も、この時は本当に強い馬だなと衝撃を受けました。
またまた、サンデーサイレンス産駆の強い馬が出て来たなー!と感じていました。
しかし、残念ながら、屈腱炎で引退してしまいました。
この時は、スポーツ新聞の一面になるくらい競馬ファンにはショックな出来事でした。
そして、その年のクラシックは、皐月賞は「ジェニュイン」、ダービーは「タヤスツヨシ」、菊花賞は「マヤノトップガン」でした。
こう見ると、二冠は堅かった気がしますが、菊花賞馬の「マヤノトップガン」に勝てたかどうかは、神のみぞ知るですねー(笑)
主戦ジョッキーだった角田騎手は「ムチを一度も使わずにG1を勝てた馬」とフジキセキの事を絶賛していました。
ちなみにこの時代は、年齢の数え方が今とは違い、クラシックに出走するのは4歳となっていました、といっても、今の3歳と同じ年ですけどねー!
青鹿毛の真っ黒な馬体から「漆黒の弾丸」とも呼ばれた、フジキセキ、この馬がクラシックに走っていたら、どんな結果になっていたんでしょうねー。
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