ついに武豊ジョッキーが前人未到のG1レース通算100勝というとんでもない記録を達成しました。この素晴らしい記録を私も100勝を思い出してみたくて、100勝をまとめてみました。
1988年 菊花賞(スーパークリーク)
JRAのレジェンドシリーズのCMでも放送されていますが、このスーパークリークがいなければ、武豊はいなかったといっても良いともいます。武豊に初のG1の称号をもたらせた馬です。
1989年 桜花賞(シャダイカグラ)天皇賞 (春)(イナリワン) 宝塚記念(イナリワン)天皇賞(秋)(スーパークリーク)
この年は、春の天皇賞をイナリワンで、秋の天皇賞をスーパークリークで制して、天皇賞の春、秋を完全制覇しました。これから、「平成の盾男」と呼ばれるようになりました。
1990年 天皇賞 (春)(スーパークリーク)安田記念 (オグリキャップ)スプリンターズステークス(バンブーメモリー) 有馬記念(オグリキャップ)
天皇賞・春を連覇したのも素晴らしいのですが、何より、この年で一番印象に残っているのは、やはり有馬記念でのオグリキャップの奇跡の復活ですね。私は高校生でしたが、奇跡の復活を果たした、オグリキャップに贈られた、中山競馬場での「オグリコール」を鮮明に覚えています。
1991年 天皇賞 (春)(メジロマックイーン)
この年は、良い意味でも悪い意味でも、世間に武豊の名前が知れ渡った年でした、天皇賞春をメジロマックイーンで勝利して、天皇賞秋もメジロマックイーンで勝利しましたが、武豊の進路妨害で、1着降着という、G1レースでは史上初の事態が起きてしまいました。
この天皇賞秋が、幻の100勝目とも言われる良いになりました。
1992年 天皇賞 (春)(メジロマックイーン)
1992年の天皇賞春は、メジロマックイーンVSトウカイテイオーの「世紀の対決」と言われましたが、結果的にメジロマックイーンが勝利し、メジロマックイーンは、史上初で天皇賞春を連覇しました。
1993年 桜花賞 (ベガ)皐月賞(ナリタタイシン) 優駿牝馬(ベガ) 宝塚記念(メジロマックイーン)
この年は、ベガに騎乗で、牝馬三冠を狙いましたが、エリザベス女王杯でホクトベガに破れました、この時の馬場アナウンサーによる「ベガはベガでもホクトベガです」の実況が印象的なレースになりました。
1994年 桜花賞(オグリローマン) ムーラン・ド・ロンシャン賞(スキーパラダイス) 阪神3歳牝馬ステークス(ヤマニンパラダイス)
この年は何より、スキーパラダイスで海外G1であるムーラン・ド・ロンシャン賞を制覇し、日本人騎手による海外G1初勝利を収めました。
1995年 安田記念(ハートレイク) 優駿牝馬(ダンスパートナー)
この年のダンスパートナーの勝利が翌年のダンスインザダークの走りを予言していたのかも知れませんね。
1996年 優駿牝馬(エアグルーヴ) 菊花賞(ダンスインザダーク)
名牝「エアグルーヴ」でオークスを制しましたが、何より、菊花賞でのダンスインザダークの見事な勝利は忘れる事が出来ません。
1997年 NHKマイルカップ(シーキングザパール) 宝塚記念(マーベラスサンデー) 天皇賞(秋)(エアグルーヴ)
この年は、やはり新設されたばかりのNHKマイルカップに、シーキングザパールで勝利したレースが印象深いです。この年の武豊は、「マーベラスサンデー」「エアグルーヴ」と、まさに名馬にたくさん騎乗した年でした。
1998年 桜花賞(ファレノプシス) 東京優駿(スペシャルウィーク)秋華賞(ファレノプシス) モーリス・ド・ゲスト賞(シーキングザパール)
この年は、やはり日本調教馬として初めてヨーロッパのG1を勝利した、シーキングザパールの騎乗が思い出深いです、日本調教馬が日本人ジョッキーが海外G1を勝つという、日本競馬の悲願が叶った年になりました。
そして、何より一番思い出深いのは、武豊が初めてダービーを制覇した年でした、名馬スペシャルウィークでダービーを勝利し、八大競走完全制覇を達成しました。
1999年 天皇賞 (春・秋) (スペシャルウィーク) 東京優駿(アドマイヤベガ)アベイユ・ド・ロンシャン賞(アグネスワールド) マイルチャンピオンシップ南部杯(ニホンピロジュピタ) ジャパンカップ(スペシャルウィーク)
この年は、スペシャルウィークで大活躍した年でした、もう一つ印象深いのは、あれだけ勝てなかった日本ダービーを連覇するという離れ業を達成しました。この年で、史上最年少(30歳7ヶ月)でJRA通算1700勝を達成しました。
2000年 皐月賞(エアシャカール) ジュライカップ(アグネスワールド) 菊花賞(エアシャカール)
この年は、エアシャカールで二冠を達成しました、エアシャカールは、ダービーでもアグネスフライトのと差がわずか7cmの2着に破れた事からも、「準三冠馬」と呼ばれた馬でした。
他にもアグネスワールドで、競馬発祥の地であるイギリスのG1であるジュライカップを制覇しました。
2001年 NHKマイルカップ (クロフネ) アベイユ・ド・ロンシャン賞(インペリアルビューティ) エリザベス女王杯(トゥザヴィクトリー) ジャパンカップダート(クロフネ) 香港ヴァーズ(ステイゴールド)
この年のクロフネにダートの強さには、本当に驚きました。特にジャパンカップダートの騎乗はまさに武豊と思わせてくれる、衝撃の強さを見せつけてくれました。
この年は、長期の海外遠征をしていたため、9年連続リーディングであった記録が途絶えた年になりました。
そして、何より思い出深いのは、「シルバーコレクター」と呼ばれたステイゴールドを、最後の最後で海外G1(香港ヴァーズ)制覇という、まさに武豊ここにありという素晴らしい騎乗で、ステイゴールドの価値をさらに引き上げました。
2002年 東京優駿(タニノギムレット) ジャパンダートダービー(ゴールドアリュール) スプリンターズステークス(ビリーヴ) 秋華賞(ファインモーション) エリザベス女王杯(ファインモーション) ダービーグランプリ(ゴールドアリュール) 東京大賞典(ゴールドアリュール)
この年で印象深いのは、やはりタニノギムレットで、ダービー3勝目を記録した事です。それともう一点は、名牝ファインモーションの強さに感動しました。子の年はJRA新記録となる、阪神競馬場で1日で8勝というとてつもない記録を打ち立てました。
2003年 フェブラリーステークス(ゴールドアリュール) ジャパンダートダービー(ビッグウルフ) エリザベス女王杯(アドマイヤグルーヴ) 全日本2歳優駿(アドマイヤホープ) 東京大賞典(スターキングマン)
この年の武豊は輝いており、G1制覇はそれほど多くはありませんでしたが、JRA史上初の年間200勝を達成しました。年間を通じて、中央と地方の全てのG1に騎乗するという離れ業も達成しました。
2004年 桜花賞(ダンスインザムード) JBCスプリント(マイネルセレクト) エリザベス女王杯(アドマイヤグルーヴ) ジャパンカップダート(タイムパラドックス)
この年も、JRA史上最速で2300勝、2400勝を立て続けに記録しました。何よりすごいのは、エリザベス女王杯を4年連続制覇しました。この年も年間200勝以上をマークし、前年の204勝を上回る、211勝をマークしました。
2005年 川崎記念(タイムパラドックス) 高松宮記念(アドマイヤマックス) 皐月賞(ディープインパクト) 東京優駿(ディープインパクト) 帝王賞(タイムパラドックス) ジャパンダートダービー(カネヒキリ) ダービーグランプリ(カネヒキリ) 秋華賞(エアメサイア) 菊花賞(ディープインパクト) JBCクラシック(タイムパラドックス) ジャパンカップダート(カネヒキリ)
この年は何を言っても、日本近代競馬の結晶である「ディープインパクト」での三冠達成ですね。4度目のダービー制覇を含むG1を11勝というとてつもない記録を打ち立てました。
この年も当然のように200勝を達成し、またもや前年の記録を更新する、212勝をマークしました。ディープインパクトとともに武豊が一番輝いていた年になりました。
2006年 フェブラリーステークス(カネヒキリ) 天皇賞 (春)(ディープインパクト) NHKマイルカップ(ロジック) 宝塚記念(ディープインパクト) ジャパンカップ(ディープインパクト) 有馬記念(ディープインパクト)
この年も、ディープインパクトの活躍とともに、JRA史上最速で2700勝、2800勝を立て続けにマークしました。しかし、何より悔しかったのは、ディープインパクトの凱旋門賞失格という屈辱でしたね。
しかし、ディープインパクトは、帰国後のジャパンカップと有馬記念を連勝して、日本に感動を与えてくれました。
2007年 高松宮記念(スズカフェニックス) ドバイデューティーフリー(アドマイヤムーン) 天皇賞 (秋)(メイショウサムソン) JBCクラシック(ヴァーミリアン) ジャパンカップダート(ヴァーミリアン) 東京大賞典(ヴァーミリアン)
この年は、何より偉大なる先輩である、岡部幸雄のJRA通算2943勝を抜き、JRA史上初の3000勝をマークしました。ジャパンカップダートの勝利で重賞250勝も達成しました。
2008年 フェブラリーステークス(ヴァーミリアン) 天皇賞 (秋)(ウオッカ) JBCクラシック(ヴァーミリアン)
この年は、ウォッカで天皇賞春を制覇し、天皇賞通算11勝をマークし、天皇賞最多勝利騎手になりました。この年は、JRA史上最速で通算3100勝も達成しています。
2009年 ヴィクトリアマイル(ウオッカ) 安田記念(ウオッカ) 帝王賞(ヴァーミリアン) JBCクラシック(ヴァーミリアン)
この年から、武豊の勢いが衰えて来て、海外遠征をしていた2001年を除き、16年連続で守り続けていた、リーディングの座を内田博幸騎手に奪われてしまいました。
この年から、武豊の凋落が始まりました。
2010年 川崎記念(ヴァーミリアン) JBCクラシック(スマートファルコン) ジャパンカップ (ローズキングダム) 東京大賞典(スマートファルコン)
この年は、毎日杯で落馬して4ヶ月間休養せざる終えなくなり、100勝達成も出来ずに、終わってみれば69勝と考えられない記録に終わってしまいました。しかしそれでも、ローズキングダムでジャパンカップを制覇し、23年連続JRAのG1勝利を果たしました。
不振の中でも、武豊の意地を見た年になりました。
2011年 帝王賞(スマートファルコン) JBCクラシック(スマートファルコン) 東京大賞典(スマートファルコン)
この年も、不振が続き、JRAのG1連続制覇の記録も途絶えてしまいました、結果的に64勝に終わってしまい、勝率・連対率ともに過去最低の記録に終わってしまいました。
2012年 川崎記念(スマートファルコン) マイルチャンピオンシップ(サダムパテック)
この年が、武豊にとって、過去最低の年だったといっても過言で無いと思います、サダムパテクで意地のG1制覇を果たしたものの、年間56勝と考えられない記録になりました。
2013年 東京優駿 (キズナ) マイルチャンピオンシップ (トーセンラー)
2013年は、武豊完全復活と言ってもよい、素晴らしい騎乗が続いており、キズナでダービー5勝目を飾り、そしてついに、マイルチャンピオン制覇で、G1通算100勝という前人未到の勝利を飾りました。
残す大きな記録は、朝日杯を制覇すれば、JRAのG1全てを完全制覇というとてつもない記録が達成されます、今の武豊の勢いなら、この記録もあっさり達成しそうな予感がしますね!
岡部幸雄も大絶賛!武豊がトーセンラーでG1通算100勝を達成!
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